【東北民教研に250名を超す参加者】

 『3月11日に起こった東日本巨大地震、巨大津波、その後に発生した福島原発放射能漏れ事故によって引き起こされた想像を絶する「災害」によって、生活の感覚、記憶の感覚、時間の感覚がすべて3月11日のままで時計が止まってしまいました。
 「今、自分は何をしているのだろう?」「今、自分は何をやろうとしているのだろう?」と自分に問う時が度々あり、その都度3月11日まで時間を戻して、それまでやっていたことを思い出し、そのうえで、自分がやろうとしていることの意味や意義を再確認して前に進むといった具合です。』
 福島県実行委員代表のあいさつの一部です。想像を絶する状況の中での準備に頭がさがりました。


テーマは

 =震災・原発と子どもたち 今 平和と教育を考える=
子どもの命と人権を守り、子どもたちに科学的で批判的な学びを

 基調報告では、大地震・大津波原発事故と深刻な問題がおきてしまったことを総括し、教育という場で何が足りなかったのか、地域の中でどのような活動が足りなかったのか、しっかりと検証していきたい。そして、子どもたちにどのような学びを保障していくべきかを集会の大きな柱としたい、とありました。


 つづいて行われた基調講演
 国策による災難 −いま、日本における最大、最悪の原発災害が進んでいる
 伊東達也氏(原発問題住民運動全国連絡センター筆頭理事)

 あらためて2つのことで国策による災害であることがわかりました。まず、今回の津波は「想定外」としていたことについて、「原発の安全性を求める福島県連絡会」は大津波が襲うと冷却用ポンプが動かなくなってしまうことが2003年にわかり、2004年から7年間抜本的対策を求めてきたが、東電は「聞く耳をもたなかった」というのです。「安全神話」の上にあぐらをかき、甚大な被害を出した、まさに人災です。
 2つめは、「安全神話」の刷り込みが、教育現場で行われていたということです。
福島県 原子力安全対策課の発行している「アトムふくしま」に、過去にこんな作文を載せていました。
 『富岡第2中2年「私たちのまちと原子力発電所」・・・原子力発電と聞いて思い浮かぶのは「危険」と言う言葉でした。原子力について全く知識がなかったころのことです。しかし、先日中学校で「安全教室」として原子力についてお話していただき、それは私の誤解だったということに気付きました。その時は、原子力発電所での安全対策とか、万が一事故が起きてしまった時はどうすればよいかを教えてもらいました。とても勉強になりました。・・・ここまで聞けば「原子力発電だって安全なんだ」と思うことができます。・・・環境に優しく、小さくても大きなエネルギーになる原子力発電は、これからの発電の主流になると思います。・・・「原子力発電は危険だ」という固定観念を捨てることが大切だと思います。』

 まさにテーマにある通り、「科学的で批判的な学び」が必要であることが明らかになりました。

 その後行われた被災地からの報告ですが、被害を思い出したくない・・・けれど伝えなければいけない・・・そんな思いがひしひしと伝わりました。

災害時、子どもの命を守るためにどうしたらいいのかを、あらためて考えさせられました。